春眠暁を覚えずには続きがある!全文の正しい意味と使い方は?

春になると、気候がいい日が多くなります。
暖かい日差しと心地よい気温のおかげで、仕事中についうとうとしてしまうことも。
こういう時、「春眠暁を覚えずだから仕方ないよ」なんて誰かが言うのを聞いたことがあるでしょう。
自分自身で使ったことがある人もいるかもしれませんね。

ところで、この「春眠暁を覚えず」という言葉ですが、誰がどんな意味を込めて言った言葉かご存知ですか?
実は、この文には続きがあるのです。

今回は、知っているようで実はあまりよく知らない「春眠暁を覚えず」について掘り下げてみようと思います。

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「春眠暁を覚えず」には続きの文がある!その全文とは?

「春眠暁を覚えず」という文は、中国の有名な詩の最初の一文で、この後には続きがあります。
全文を原文で表すと以下の通りになります。

春眠不覚暁

処処聞啼鳥

夜来風雨声

花落知多少

これはもともと中国の詩ですから、中国語で書かれています。
文字を見るとなんとなくニュアンスは伝わりますが、ちょっとわかりにくいですよね。

そこで、日本人はこの詩を中国語がわからない人でも理解できるように送り仮名を振ったり、言葉の順番を入れ替えてわかりやすくしました。
これを、日本では「漢詩」と呼んでいます。

では、読みやすくした漢詩を見てみましょう。

春眠 暁を覚えず

処々 帝鳴を聞く

夜来 風雨の声

花落つること知る多少

読み方は、

しゅんみんおかつきをおぼえず
しょしょていちょうをきく
やらいふううのこえ
はなおつることしるたしょう

となります。

随分わかりやすくなりました。
この文を見るだけでも、ぼんやりと情景が浮かんできませんか?

春眠暁を覚えずの全文の意味は?

「春眠暁を覚えず」から始まる有名な漢詩は、中国の孟浩然(もうこうねん)という詩人が書いた「春暁(しゅんぎょう)」という詩です。

孟浩然は、今から約1300年前に活躍した詩人。
このころ中国では詩がすごく流行っていたそうです。

孟浩然のほかにも、李白(りはく)、杜甫(とほ)、白居易(はくきょい)などが有名です。

孟浩然は、若いころから各地を旅したり、山にこもったりとかなり自由人な生活を送っていたそうです。
安定した職が欲しかったのでしょうか、一時期は役人を目指したこともあるそうです。
しかし、試験に受かることができず断念。

そんな時生まれたのが「春暁」です。

“出世の道は閉ざされてしまったが、思う存分眠る時間はある”ということで、この詩を詠んだといわれています。
この背景をふまえて詩を読んでみると、また違ったニュアンスが伝わってきますよね。

それでは、孟浩然の漢詩「春暁」の意味を解説していきます。

春眠 暁を覚えず
春の眠りは心地よく、夜が明けるのも気づかぬほど。

処々 帝鳴を聞く
ふと目覚めると、あちらこちらから小鳥のさえずりが聞こえてくる。

夜来 風雨の声
そういえば、ゆうべは雨風の音が激しかった。

花落つること知る多少
今朝の庭は、花がどれほど散ったことだろう。

【現代語訳:石川忠久】

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以上がが一般的によく知られている解釈です。

「一般的に」と言ったのは、 実はこの漢詩の最初の一文には他の解釈の仕方もある からです。

このほかの解釈として、「春は日の出が早いから、冬と同じ感覚で目覚めた日の出を見逃してしまうのだな」という解釈がああります。
昔の人は朝の日の出を見られるくらい早起きだったんですね。

そしてもう一つ。「夜中の激しい雨風のせいで桜が散ってしまわないか気が気でなく、眠れぬまま気が付いたら夜が明けていた」という解釈です。
しかし、個人的にこちらの解釈は孟浩然の心情とちょっとずれているのではないかなと思います。
「出世しなかったけど、その代わりゆっくり寝れるぜ」思っている人が、桜が散るのを心配して眠れぬ夜を過ごすでしょうか。

どちらかというと、一般的に広まっている「つい寝すぎていつの間にか夜が明けていた」というのがしっくりくるような気がしますが、皆さんはどうでしょうか。

どんな本を読むときもそうですが、文の解釈というのは一つではありません。
人それぞれ感じ方が違って当然で、詩や文を書く人もあえて読者に解釈を任せるような文章を書いたりしますよね。
自由に想像して、情景を思い浮かべながら解釈を楽しんでみましょう。

「春眠暁を覚えず」はどんな時使うのが正しいの?

「春眠を覚えず」という言葉を会話の中で使いたいという人もいるのではないでしょうか。
新しく言葉を覚えると、無性に使いたくなるのは私だけではないはず。

では、「春眠暁を覚えず」はどういう時に使うのかというと、まず 使う季節は春だけ です。
それ以外の季節には使わない言葉ですね。

例を挙げると、

「春休みは毎日ジョギングするつもりだったのに、今日はつい寝過ごして行きそびれちゃた」
「仕方ないよ。春眠暁を覚えずっていうしね。」

「春は夜明けが早いから朝起きるのが気持ちいよね。」
「そうだね。春眠暁を覚えずだね!」

といった感じでしょうか。

たまに、会社や学校でうたた寝してしまったときの言い訳で「春眠暁を覚えずっていうしな~」なんていう人がいませんか?
これは、厳密にいうと使い方が間違っています

文中に「暁」と入っているように、この詩は夜寝てから朝起きる時の様子を詠んだもの
本来の詩の意味からすると、昼寝やうたたねには当てはまらないのですね。

ただ、詩の解釈は自由ですから、そういう使い方がダメなわけではありませんが…
「それ使い方違うよ」と指摘されてしまう可能性はあるでしょうね。

春眠暁を覚えずの解釈は人それぞれ

「春眠暁を覚えず」を、朝寝過ごしてしまったときに使うのか、日の出の早さを表現するのに使うのか、春の雨風で眠れぬ夜を過ごしたときに使うのか。解釈や使い方は人それぞれあっていいでしょう。

ただ、人に「それ意味違うんじゃない?」と突っ込まれたときに、本来の意味を理解していれば「知ってるけど自分なりのアレンジだよ」と切り返すことができますよね。そのためにというわけではないですが、本来の意味を知ることは作者の心情を理解するという意味でも面白いものです。

孟浩然の「春暁」のほか、戦争の悲しみを詠んだ杜甫の「春望」なども美しい情景と悲しい心情が伝わってくる素晴らしい作品です。
「国破れて山河あり」で有名なあの漢詩です。

漢詩も意味が分かるとなかなか興味深いものが多いですよ。

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